ある日長良川沿いを ラジオのイヤホン耳に、
ハーレー・ダビちゃんというニックネームの
自転車で快走してました。


ラジオ番組のテーマが、
「もしも・・・○○が、○○だったら?」
「もしも・・・○○が、○○で なかったら?」 でした。


私の頭に浮かんだのは、
もしも、あの日、井○○太郎から電話がなかったら
お水の世界には、入ってなかっただろう。。。です。


17歳 高校の夏休み
小学校からの同級生
井○○太郎からの電話で
「ヒマだろう、俺のバイト手伝ってくれ〜」
呼ばれていった先が、
山の上、ロープウエー横のレストラン。


私ご幼少のころから
外食ってほとんど したことがなく
レストランに一人で入るなんて・・・
マゴマゴして居ると
バイク仲間の 「○原○男」も呼ばれてきた。


井○○太郎は我々に
レストランのウエイターをやれという。


人様に食べ物を運ぶ、
中学の給食以来、家でもやったことないし
ウインドー内のサンプルには
食ったことないものや、
飲んだことないものが、沢山あるではないか。


若さですかねぇ、
不安どころか楽しかったんですよ。
同じ学校の女子3人居たこともあったし
学校の成績が悪い私だが、
お客さんからのオーダーは
どんどん頭に入ってゆく。


夏休みが終わっても、
残らないかとのお誘いに乗りました。


レストランの仕組みが分かり始めると、
友人のお誘いで 一ランク高い店に変わったりもしたよ。


ここでも活躍!
アルバイトのウエイターは白いバーコートだが、
私はプロと同じ
黒のタキシードをもらえました。
水商売に水があったってわけですなぁ〜


卒業が近くなると
社長、厨房チーフやフロアー主任から、
お誘いがあったのですが・・・
両親の強烈なる大反対にあい、
一度は公務員になるのだが
一年もせずに、お水の世界に戻ってきました。


あれから三十数年  長〜!!
とりとめのない思い出話で、
ごめんねぇ。


   ここで一句     
    誰が見る
      面白さなく 
         人の過去